日本の多くの海岸防災林は「白砂青松」と呼ばれ、全国でクロマツを中心に植栽し、管理され、人々の暮らしや国土を守り支えてきました。海岸防災林には、潮風や飛砂から農地や居住地を守ったり 津波エネルギーを弱める防災機能はもちろん、豊かな生態系から、レクリエーションや環境教育の場などたくさんの役割があります。
人の手を借りながら、クロマツは海岸防災林へと成長します。
震災以前は沿岸エリアに人々の暮らしがあり、この成長を支えてきました。
どうしても人の手、人々のチカラを借りなければ完成できない海岸防災林。
このプロジェクトは人々と海岸防災林エリアの繋がりの再生も目指しています。
「地域に愛され大切にされる森林」「震災を伝承する森林」
「災害に強い森林」。美しく強い松林を次世代へ繋いでいきます。
クロマツを健全に育てていくことは、カーボンオフセットへと繋がります。毎年毎年たくさんの二酸化炭素を固定化し脱炭素社会の実現に貢献します。
宮城県の海岸防災林の歴史は古く、仙台藩主祖伊達政宗公が都市計画を実現するための大きな事業の1つでした。現在の仙台平野は豊かな水田地帯ですが、当時はヨシやマコモが生える湿地帯でした。海岸に近い湿地帯では干拓しただけでは米がとれず、海からの潮風や強風を防ぐ海岸防災林が必要でした。そこで、今の仙台市宮城野区蒲生地区の海岸砂地地帯にクロマツの植林を命じたのが始まりです。クロマツはもともと東北地方には自生していない樹種であったため、静岡県浜松からわざわざ種子を取り寄せ、苗木を育て、海岸防災林の造成が始まりました。政宗公の思いは、亡き後も仙台藩に長く引き継がれ、そして大震災をも乗り越えて同じ場所で新たな海岸防災林が造成されています。